イワシといえば、どんなイメージを持つでしょうか。小さくて、あっという間に食べられてしまう、海の中では弱い存在——そんなイメージを持つ方も多いかもしれません。しかし、イワシの群れを一度でも目にしたことがある方なら、その光景に息をのんだ経験があるのではないでしょうか。何万匹もの魚が群れを成して、まるで一つの生き物のように海中を泳ぐ姿はどこか神秘的ですらあります。
では、なぜイワシはあれほど大きな群れを作るのでしょうか。その答えは、小さな体に宿る、巧みな生存戦略にあります。
本記事では群れをつくるイワシの仲間の中でも、日本近海で最もなじみ深いマイワシについて紹介します。
マイワシ(Sardinops melanostictus)は、ニシン目ニシン科に属する回遊魚で、太平洋側を中心に北海道から九州にかけて広く分布しており、春から夏は北上し、秋から冬は南下するという季節的な回遊を繰り返すため、漁獲される地域が季節によって変わります。
体長は一生後2年程で18~20cmに成長し、寿命は7年程度、最大で25cmほどになります。背中は青みがかった緑色で、腹側は銀白色に輝きます。
体の側面には黒い斑点が一列に並んでおり、他のイワシ類と見分けるポイントになっています。
(マイワシ)
それでは、なぜマイワシをはじめとするイワシの仲間は大きな群れをつくって泳いでいるのでしょうか。
イワシが群れるのは、もちろん「なんとなく集まっている」わけではありません。
イワシは漢字では「鰯」と書き、名前の由来からも文字通り弱い魚として知られています。海ではサメやマグロ、カジキといった大型魚から常に狙われています。その際、単独で泳いでいれば、あっという間に捕食されてしまいますが、少しでも生存率を高めるために編み出した戦略が群れることなのです。
群れることで得られるメリットの一つ目は、威嚇効果です。
イワシの群れはサメのような捕食者が近づくと、瞬時に球状に凝縮するように動きます。このように固まって動くことで、群れ全体をひとつの巨大な生き物のように見せ、捕食者を威嚇する効果があると考えられています。
このような現象は「ベイトボール」と呼ばれます。
(ベイトボール)
さらに、数万匹が密集して動くことで、捕食者は「どの一匹を狙えばいいか」が分からなくなります。この混乱効果により捕食者の狩り成功率を下げることができます。一匹のときに比べて、何万匹もの群れの中にいる方が、その確率は大幅に下がり、群れの個体数が多ければ多いほどその効果は大きくなります。
このように、イワシは群れをつくることで外敵から自分が狙われることを回避していますが、実はイワシが群れる理由はそれだけではありません。
魚が泳ぐとき、尾びれの運動によって後方に渦を巻いた水流(逆カルマン渦)が生じます。後続する個体はその水流をうまく利用することで、少ない力で推進力をえることができます。これは長距離を回遊するマイワシにとって、体力を温存するうえで有効に働くと考えられています。
では、群れはどうやって一糸乱れぬ動きを可能にしているのでしょうか。
何万匹もの魚の群れが、リーダーもなく瞬時に同じ方向へ動けるのは、「側線(そくせん)」の働きによるものです。側線とは、魚類の体側に沿って走る感覚器官で、水圧や水流のわずかな変化を敏感に感知します。イワシはこの側線と、視覚など人間にも存在する五感を組み合わせることで、隣の個体の動きを即座に察知し、群れ全体が一つの意思を持つかのように動くことができるのです。
マイワシは捕食者から身を守るために、大きな群れをつくりますが、大きな群れになることで、多くの捕食者を引き寄せてしまうこともあります。海中ではイワシを食べるカツオやマグロ、カジキといった大型魚が、イワシの群れの周りに集まってきます。
(イワシの群れを襲うカジキの仲間)
さらに、イワシの群れを襲うのは海の中の生物からだけではありません。
空からはカツオドリやウミネコなどの海鳥もイワシの群れを狙っており、海に飛び込んで海面近くのイワシをとらえます。イワシの群れが海面近くに浮上したときには、海鳥が一斉に水面へ集まる「鳥山」という現象もみられます。
(鳥山はイワシの群れが海面近くにいるサイン)
また、人間も古くからイワシを利用しており、魚群探知機がなかった時代から、漁師たちは鳥山を目印にイワシの居場所を探して漁を行うこともありました。
イワシの用途は食用だけでなく、古くから干鰯(ほしか)にして肥料として利用するなど、多岐にわたります。現在もマイワシは、北海道の太平洋側や千葉・茨城・静岡沖などの沿岸漁場で水揚げされ、生食・干物・煮干し・缶詰・フィッシュミールなど多彩な形で利用されています。イワシにはDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)といった不飽和脂肪酸が多く含まれており、健康意識が高まるなかで注目されています。
(イワシの缶詰)
このように、マイワシは海の中からも、外からも様々な生物を支える食糧源となっています。一方、マイワシも植物プランクトンや動物プランクトンを食べて生きており、海洋で生み出されたエネルギーを上位の捕食者へ受け渡す「つなぎ役」として機能しています。小さな体ながら、海の食物連鎖を支える重要な存在なのです。
(海の食物連鎖)
前述のとおり、イワシは海の生態系には欠かせない存在であり、だからこそ多くの捕食者に狙われます。体が小さく「弱い魚」というイメージを持たれているこの魚は、群れることで一匹では敵わない捕食者を惑わし、食べられないように知恵を絞って生きています。
その生き方は、けっして弱々しいものではありません。
次に食卓でイワシを見かけたときには、その小さな体に秘められた生存戦略を、少し思い浮かべてみてください。